一場面句と二場面句


 一句一章とか一句二章とかという句の分類は、少し分かりにくいと思われる。では、表題のような分け方ではどうであろうか。
一場面句とは、俳句が一場面で構成されているということである。つまり作者の目に見える範囲内に存在する一つの場面で構成されているということである。
次のような句があげられよう。
「をりとりてはらりとおもきすすきかな」
「鶏頭の十四五もありぬべし」
「流れ行く大根の葉の早さかな」
一場面の句は分かりやすいであろう。
また、二場面句とは、一つの句に二場面が存在するということである。たとえば、
「糸瓜咲て・痰のつまりし佛かな」
「旅に病んで・夢は枯野をかけ廻る」
「降る雪や・明治は遠くなりにけり」  
のような句である。二場面句は、少し説明が必要であろう。
「糸瓜」の句は、家の外に糸瓜が咲いているという風景が一場面であり、「痰のつまりし佛」とは、病気で部屋の中に寝ている自分のことであり、子規の感想でもある。それが感想という一つの場面ということである。作者の感想や意見は、周囲の風景とは異なる脳に広がる一つの場面としてとらえるべきである。
「旅」の句は、旅に病んでいる自分が一場面であり、かけめぐっている夢が二つ目の場面ということである。
「降る雪」の句は、一場面のように感じられるが、降る雪を見ていると遠くなった明治のこと(場面)が思い出されるということで二場面と考えるのである。
 さて、三場面の句であるが、「目には青葉・山ほととぎす・初鰹」のような一句三章の句が考えられる。だがこれは、青葉の光り輝く山にほとどきすが鳴いているという場面を一場面とすると、二場面の句ともいえなくもない。単純に一場面の句以外は、二場面の句という分類でもあながち無理でもないように思える。俳句は五七五の短い世界であるので、二場面以上には広がらないのである。

                                                     2007.5.5