何故「五・七・五」であるのか
俳句は「五・七・五」の十七音である。何故そうなのであろう。何故「六・八・六」「四・六・四」「五・六・七」「五・七・六」ではなかったのであろう。ちなみにそれぞれの音数で句を作ってみるとリズム感に乏しいのである。また作りにくいのである。普段私が「五・七・五」で句を作るからであろうか。どうもそれだけでは無いように思えるのである。「五・七・五」のリズムが心地よいのである。心地よく響くのである。
何故なのであろうか。それは恐らく、日本語のもつリズムがそうなのかも知れない。すなわち、日本の会話文そのものが「五・七」で切れることが多いのではないのかということである。五で一拍入れ七で一拍入れて会話しているのではなかろうか。もちろん全てそうであるということではない。多くはないかということである。意識して会話しているわけではないが、多いが故に心地よく響くのではなかろうかということである。私は言語の専門家ではないので、確証があるというわけではない。推測である。これは短歌にもいえることである。
ひとつもどる