短歌と俳句の間

 短歌から俳句が生まれたのであるが、少し不思議に感じたことがある。短歌は「五七五七七」であり、俳句は「五七五」である。実に当たり前のことである。しかし、その間もあるのである。すなわち「五七五七」という形式である。何故この形式が無視されたのであろう。この形式で価値のある短詩が作れないのであろうか。やってみたいと思う。まずは、模倣及び作り替えという手段で行ってみよう。

ちる花はかずかぎりなしことごとく光をひきて谷にゆくかも    上田三四二

ちる花はかずかぎりなし谷間へと光をひけり   五七五七の句


流れ行く大根の葉の早さかな     高浜虚子

手元より離れ流るる大根の葉の早さかな    五七五七の句

 名句を模倣しているので、質が落ちるのは仕方ないが、鑑賞できないほどでもないように感ずるのである。短詩としての文学的価値はあるのではなかろうかと思うのである。ではこの「五七五七」の短詩の名前は何と呼んだらいいであろうか。短歌と俳句の間であるから、短俳詩はどうであろう。うーん、実に今一つである。五七二連句、五七の句、単に二連句などなどいくつか考えられよう。

 さて、やはり模倣ではだめである。創作すべきである。実際に自分の五七の二連句を詠んでみよう。

1 風見鶏くるりと回し春の風吹いてゆきたり    
2 薄氷轍の中にきらきらと光りてをれり
3 薄氷張りたる下に空気玉二つ三つあり        
4 散る花を車のライト一瞬に写し出しけり
5 ガスボンベごろりと置いて風船を男売りをり
6 干されゐる梅の脇にて小さなる影付いてをり
7 どぶ川に張るの光の忘れ物の如揺らめける
8 ラムネ玉押し込みたれば一瞬に夏立ちにけり
9 若鮎やくの字くの字に光りつつ川上に消ゆ
10 夏の星空に広がり天文台包まれにれり
11 虫網を持ちたる兄と虫籠を持ちたる弟
12 あめんぼは六つのスケート靴を履き泳いでをれり
13 カマキリは己が鎌にて大きなる目玉拭きをり
14 屋根の上(へ)の若き大工は空眺め熟柿食ひをり
15 山道を下りて行けば柿実る里に入りたる
16 ビニールの袋ころころ秋の浜転がつてゐる
17 満月はプラットホームの先端に輝きにけり
18 大栗のまろまろとして掌に一つありける
19 桐一葉枝に当たりて向きを変えバサリと落ちつ
20 秋茄子を切れば切り口白白と輝きにけり
21 風花の光となりて青空の中に消えたり
22 自販機や雪降る中をじんじんと唸りてをれり
23 節分や単身赴任の部屋の中ぱらぱらまけり
24 粉雪は大きな門の内外を降り続くなり
25 霰玉ジャングルジムに降り注ぎぴんぴん跳ねつ
26 六人の黒きコートの男らや棺運べり
27 吹雪の渦雀の渦のぶつかりて空(くう)に舞ひけり
28 押入れを開ければ布団に実存が座りてをりぬ
29 六人の男は酔ひてごろ寝せり闇夜の中に
30 愛といふ言葉言はねど二十年妻と過ごせる


 どうであろう。五七二連句としての価値は感じられるであろうか。感動は存在しているであろうか。
 さて、実際拙い句を詠んで感じたことがある。季語はあえて定めなくてもよいように思う。だが切れ字はあっても良いのではなかろうか。それがないと短歌の切れっ端のような印象を与えるのである。また、詠み方としては五七で少し切ってから朗詠した方が良いであろう。つまり「五七・五七」である。五七五七の繰り返しであるから、リズム感が俳句より感じられるであろう。だが、短歌よりはどうであろうか・・・。二連句の量が少ないので、その辺りはなかなか簡単に結論は出せないであろう。
 この五七二連句は、短歌と俳句の良い所を取り入れればそれなりに価値のある短詩が詠めるであろう。しかし、短歌と俳句の中間の中途半端な句ばかりができてしまう危険性も感じられるのである。才能があれば成立可能な分野ではある。
 なお、昔からある小歌には、「七五七五」調や「七七七七」調の形も存在している。またとどいつは「七七七五」である。しかし「五七五七」の五七二連句はないようである。

                                        2007.5.5