和歌の下句は何処へ消えたか
                           
  
 和歌の上句の「五七五」は俳句へと発展していった。では下句の「七七」は何処へ行ったのであろう。そもそも「七七」とは何であろう。私は以前、短歌を作っていた。下句七七は意見や感情を述べるのにまことに都合がよいのである。これがあるから短歌は抒情詩となり得たのである。俳句は省略を重んじるのでそれはじゃまなものである。では下句は不要なものとして歴史の闇に消えていったのであろうか。
 俳句は俳諧(連句)として始まったという歴史がある。その連句とは、はじめに五七五の発句を立てて次に七七の短句と五七五の長句とが交互に重ね、百句等のかまたりをもって終了する形式であった。七七は短句として俳諧に存在していた時期があったのである。その発句が独立し、俳句という形式で現在まで残ったのである。
 では発句が俳句として独立した時、七七の短句は無くなったのであろうか。そうではあるまい。滅んだと長く思われてきた恐竜が実は鳥へと進化していたように何かに変化したのではあるまいか。
 それは一体何か。私は自由律俳句の中にそのリズムが隠れているのではないかと考えている。自由律俳句は基本的にリズムを無視しているといわれている。しかし実際は二句、三句、四句のリズムを持っている。五七五のきっちりとしたリズムにこだわっていないということである。自由律俳句にもリズムは存在しているのである。この二句仕立てが七七の短句の変化したものとして残ったのではないかと考えている。例を出そう。
 
  後ろ姿のしぐれてゆくか       種田三頭火
  道は枯野に消えてしまひぬ     詠み人知らず
  みんなの中で寂しくゐるよ     詠み人知らず
  坂を上れば二月の青空       詠み人知らず

 自由律俳句として七七の短句は存在しているではないか。俳壇の片隅にある自由律俳句のそのまた隅にひっそりとではあるが。

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