褪せる俳句
布団に入って寝ようとする時、ふとよい俳句が閃くことがある。直ぐに起きあがりノートに書き留めればよいのであるが、つい面倒くさくなって頭の中に書き留めるのである。しかし翌朝、忘れてしまっているのである。
「なかなかよい句だったが、どんなだったであろう」と思うのであるが、後の祭りである。
実にもったいないのである。それで先日、寝ようとする時、よい俳句が閃いたのである。直ぐに起きあがり、ノートに書き留めたのである。
「素晴らしい俳句が出来たな」と思い、感激しながら眠りについたのである。
翌朝、起きて直ぐにノートを見ると、
「おや、変だな。あまり感動しない。平凡な句に見えるぞ」
となってしまったのである。
これはどうした訳であろう。昨夜はあれほど感激したのに、不思議な感じなのである。朝起きた時、ほとんどの人は、感情が冷静である。感情が高ぶりながら目覚める人は少ないであろう。その冷静さが句を客観的に眺めさせるのであろう。寝る時、人は疲れている場合が多く、疲労した心は冷静な判断ができないのかも知れないのである。よって、冷静な判断や評価をする場合は、太陽が空に輝いている間がよいのではなかろうか。夜の闇は人の感情を不必要に高ぶらせるのである。それが文学によい場合もあるが、評価する場合は感情の高ぶりは不要である。創作と評価は、時間をずらした方がよいであろう。
2007.10.6