場面再構築
写実派の方も事実の風景をそのまま詠む方は少ないであろう。事実は時には不自然に存在するからである。よって、多くの俳人は観た風景を俳句らしく再構築するであろう。
たとえば、全く仮の話であるが、芭蕉が真昼に出雲崎より佐渡島を眺めていたとしよう。そして、「日本海佐渡の上には雲の峰」などという見たままの事実句を作ったとしよう。しかし今一つなので、作り替えたとしよう。雲の峰の辺りに天の川が夜出ている筈なので、「雲の峰」を「天の川」に季語を入れ替え、「日本海」では迫力がないので、「荒海」と作り替えたとしよう。すると「荒海や佐渡に横たふ天の川」という句になるのである。この句は実際に存在する風景である。詠んだ位置、場面が同じでも時間や季語を入れ替えることにより、感動を含む文学作品となるのである。
場面再構築は佳句を作る上で、必要な作業である。如何に上手く再構築できるかは才能なのかも知れないが、ある程度訓練でも上手くなるのは可能であろう。基本的に写実も再構築の文学なのである。
2008.5.3