芭蕉の弟子

 蕉門十哲として、其角、嵐雪、杉風、去来、丈草、凡兆、許六、支考、野坡、惟然の十人が挙げられている。俳壇史に残る名前である。何故名前が残ったのであろう。俳壇史に残るようなすばらしい俳句を残したのであろうか。そうではないのである。芭蕉の弟子だからである。弟子ということで、名前が残ったのである。師匠が芭蕉でなければ、現代まで名前は残らなかったであろう。
 そう考えると師匠は偉大である。俳壇史に名前を残したければ、偉大な師匠に付くべきである。それほどの実力がなくても師匠との絡みで名前を残せるかも知れないのである。たとえば、「師匠に俳句上の意見の相違により、波紋された」とかである。師匠が偉いと破門されたということだけでも、残るかも知れないのである。破門十哲とかである。
 それは兎も角として、「俳句の師匠は偉いに限る」、ということではない。どのような人格であり、どのような句を詠み、どのような理念を持っているのかをよく知り、師匠を選ぶべきであるということである。師匠を間違えると本人だけでなく、師匠も指導に困るのである。自分にあった師匠を選び、俳句に精進すべきであろう。

                                              2007.8.18