芭蕉の技法「しずかさ」
                        

 芭蕉の句は名句ばかりである。その中で特に名句と私が考える句は次の三句である。その三句にはそれほど目立たないが共通の技法が隠されている。その技法が蕉風の深みを表現しているのではないかと思う。

   古池や蛙飛こむ水の音

 この句は芭蕉の代表句であり、蕉風の確立した句とされている。この句にはどのような技法が隠されているであろう。
 まず、蛙が飛び込んだ水の音が聞こえるであろう。その音は古池に響いているのである。その池は騒々しい池ではなく、静かな池である。静かな池に水の音なのである。「しずかさ」と一つの音の対比がなされているのである。その対比に深みがあると感じさせていると思う。この技法は目立っておらず、鑑賞する者に安心を与えているのである。

   閑かさや岩にしみ入蝉の声

 立石寺という山寺で詠まれたこの句も名句である。蝉の声が閑かな山寺に響いているのである。蝉の声しか聞こえず、それが山寺の「しずかさ」をさらに引き立てているのである。この技法は閑かさと蝉の連続する声との対比である。この句の技法も「古池」の技法に似ているのである。古池は一点の音との対比であり、蝉は連続する音との対比ではあるが。

   荒海や佐渡に横たふ天の川

 越後で詠まれたこの句も名句である。この句はまず荒海が広がっており、動の激しさがある。その中に佐渡島と天の川が二段にしずかに横たわっているのである。この句も「しずかさ」と海の荒々しさとの対比なのである。

 この三句には「しずかさ」という共通項があり、それが音や動きと対比されているのである。決して目立っておらず、自然にである。これが芭蕉の見事さであり、我々がなかなか真似のできない処である。この技法を使用して句を作ろうなどと考えない方がよいであろう。恐らく失敗するであろう。だがこの技法を意識したかどうかは分からないが、正岡子規が代表句に採り入れている。

 柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺

 作者が柿を食っている時に法隆寺の鐘が鳴り響いてきたという句である。柿は秋の代表的果物であり、柿も熟している時期であり、秋が深まりつつある頃である。その秋の深まりのしずけさの中に響く鐘の音なのである。この句は柿のたわわに実ったしずかな秋と鐘の響きの対比の見事さにあり、それが人に感銘を与えるのである。静と動の対比であるが、単なる対比で終わらず、柿が彩りを与えている。「しずかさ」との対比、これはとても難しいがうまくいけば名句ができるかも知れない。

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