芭蕉の頂点

 松尾芭蕉は天才である。これは間違いのないことである。では、その天才性はいつ頃から発揮されたのであろう。解釈は人それぞれであるが、私は俳句開眼といわれた「古池や蛙飛び込む水の音」を詠んだ辺りからだと思う。そして、最も俳句活動が活発だったのは天才的衝動から旅に出た「奥の細道」の時ではなかろうか。あの随筆と作品で後生に名が残ったように思う。
 奥の細道は名句ばかりであるが、最高句は何であろう。これも人それぞれであろう。だが私はやはり「荒海や佐渡に横たふ天の川」の作品を生みだした時が芭蕉の感性の絶頂の時であると確信している。これは名句なだけでなく、「俳句の宇宙」開眼の瞬間でもあった。

  荒海や佐渡に横たふ天の川    芭蕉

 この作品が詠まれたのは、曾良日記によれば越後の出雲崎に泊まった七月四日の快晴の日であると記されている。快晴の日の夜は満天の星空であったろう。出雲崎海岸より日本海を眺めた時、吸い込まれる位の美しい星空だったであろう。ふと見れば天の川である。俳句を詠みたくなるであろう。詠みたくなるというより、心の底から俳句心が沸き上がり、「満天の星、天の川か」と呟いたかも知れない。その夜の日本海は荒海ではないが、空の静寂との対比で荒海と置いたのであろう。ここに芭蕉の技巧が隠されている。さて、それだけでは面白くないので、夜は見えない「佐渡島」を静寂と喧騒の間に一つのつなぎとして置いたのである。実によく出来ているのである。技巧が目立っていないのである。素直に感動できるのである。芭蕉は天才である。この芭蕉の明晰頭脳から発せられた句が芭蕉の頂点である。とても頭のいい俳人だったのである。芭蕉に比べれば前衛派の技巧など赤子の戯れである。芭蕉は前衛派でもやれたであろう。何でもやれたであろう。ここ出雲崎が芭蕉の頂点である。頂点は長く続いてはいるが、ゆっくりと下っていったように思うのである。そんな馬鹿なという方も多いであろう。しかし、山に頂上があるように人間にも精神的あるいは肉体的頂点はあるのである。芭蕉の頂点はここである。中には晩年まで深化発展していったという方がいるが、そんなことはないのである。脳細胞は年齢と共に確実に崩壊していくのである。芭蕉は才能のある方なので、あまり衰えなかったであろうが、ゆるやかにゆるやかに老化していったと思われる。

                                       2008.5.10