文学的真実について
をりとりてはらりとおもきすすきかな 飯田 蛇笏
このすすきの名句は教科書にも載っており、私もたしか中学生の頃知った句である。すすきの本質をついた句であると思っていた。あるいは教師にそう教えられたのかも知れない。この句は作者の実体験に基づく句であるとずっと思っていた。
私は秋のある日、すすきの生い茂っている川原で句作していたのである。何気なくそこに伸びていたすすきを折ろうとしたのである。しかし、簡単には折りとれないのである。折るのは簡単であるが、とれないのである。根元から引き抜くことは簡単にできても、「をって・とる」ということは、簡単にはできない行為である。よって、「はらりと重き」なとどいう感想は出てこないのである。
多くの読者は、これは真実に基づいた句であると思っているであろう。そのように信じさせることのできる真実は文学的真実といってさしつかえないであろう。これはこれで意味のあることである。文学において万人を騙せることは、価値のあることである。やはりこの句は素晴らしい名句である。
私は、すすきを折りとった時、次の事実句を作った。
折りとれぬ芒諦めそのままに 孝治
句としては感動の乏しいのではあるが、事実をありのままに詠んだものである。それなりに気に入っているのである。文学的真実と事実との関係を考えさせられる一つの出来事ではあった。
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