大嫌ひの句

古志2010年1月号におもしろい句が載ったのである。
 
熱燗やがさつな奴が大嫌ひ    長谷川櫂主宰

 俳句では好きとか美しいなどの主観を直接表現するのはあまりよくないと言われているが、「大嫌ひ」と大主観で表現しているのである。こういう句を私はほとんど見たことがないのである。印象に残る句である。心に残るという点では秀句ではあるまいか・・・。 うーん、やはり秀句である。またこの大主観活用の技法は応用が利くのではあるまいか。たとえばである。

ワンダフルおおビュティフル冬の虹     

 うーん、今ひとつである。いや、今ひとつどころか酷い句である。この句には全く実感がないのである。
 さて、主宰の句に戻ろう。この句は、ほぼ間違いなく実態のある句である。主宰の近くでとてもがさつな人物がいたのであろう。酒も入っていたので、つい大嫌いと強く感じたのであろう。ということは、大主観の句には実態が伴わないと秀句にはならないということである。
  主宰の秀句から学んだことの一つである。

                                               2010.1.2