第二芸術論への意見

 桑原武夫氏が昭和21年に「第二芸術論」において、俳句を第二芸術と位置づけ、議論を巻き起こした。その要旨は、その当時一流といわれた俳人の作品と一般の素人の作品との差がなく、俳句は誰もが作れるものであり、一流の芸術とはいえないという内容であったと記憶している。
 これを私は20代の頃読み、納得させられた記憶がある。俳句は小学生でも90歳過ぎの老人でも誰でも簡単に作れ、確かに一流芸術とはいえないなと思ったものである。
 現在はその当時とは違う考えを持っている。名句といわれる一流の俳句はたしかに存在する。これは誰も否定しないであろう。多くの人々に深い感銘を与える名句が存在する以上、一流芸術である。だが、月並句といわれるように誰もが作れる平凡極まりない句も数多く存在する。第二芸術というより第三芸術作品と呼んでもいいくらいである。つまりひどい作品も海の生物ほど存在している訳である。やはり第一芸術作品としての名句とそれ以外はきっちりと分類すべきである。  
 すなわち、芭蕉などが詠んだ名句は第一芸術であり、一般庶民が詠むような月並句は第二芸術としたらどうであろう。それなら桑原先生も納得するであろう。折衷論ともいえるが、これが最も妥当な考え方であろう。俳句を全て第二芸術作品とするのはやはり無理があるのである。現在のプロが詠む俳句はどうかであるが、両方混じっているということでは如何であろう。
 それにしても疑問に思うことがある。何故第二芸術論が出た当時の俳人は、この論文を無視したのであろうか。反論してもよさそうなものである。あまりにも衝撃が大きすぎたのであろうか。
 だが桑原先生の理論は、今考えても極論であった。芭蕉のような人物の作品をもって反論すれば、一般大衆を納得させるだけの反論ができたのではなかろうかと思うのである。

                                         2007.8.12