俳論で正しく議論する方法

 私は人と争うことが基本的に嫌なのである。しかし、俳論での議論は決して嫌ではないのである。ではどのようにして議論したらいいのであろう。
 相手がいないのである。そういう場合は、まず相手を捜す必要がある。相手は自分より力量のある方がいいであろう。個人的には相手はずっと大きい方がいいように思う。もちろん相手にされないことも十分承知でやるのである。
 まず、偉い俳句の先生が俳論などを書いたとしよう。その俳論に対して議論を仕掛けるのである。仕掛けるといっても雑誌では無理である。どの雑誌も載せてくれないであろう。それでインターネットを活用するのである。
 仕掛けるといっても、内容が重要である。つまらない反論ならば、相手にもされないだけでなく、馬鹿をさらすだけである。俳論は、その人物の知識や教養が全てさらけ出されるのである。十分気をつけるべきである。
 さて、反論であるが、例えば、「客観写生」について、反論したとしよう。
「客観写生なんて、古いよね。年寄りの考えだな。そんなことやる奴なんて、棺桶に片足入れているようなもんだ。」
などと、述べたとしよう。この発言には教養の欠片も論理性もなく、ただの悪口である。「実に馬鹿な奴だ」で終了である。相手にされる以前の問題である。
 反論には、相手の俳論の問題点を具体的に把握し、それについての新たな解決方法を示し、論理的になおかつ具体的に反論しなければならないであろう。新しい考えの場合、理論の飛躍があることが多く、その部分を見つけ出し、議論の対象にするのである。
 例えば、前衛派などが、「写生には、未来の俳句はつくれない」などと軽く述べるのである。この根拠はもちろん何もないのである。まず全面否定してから議論を進める場合が多いのである。特に詩人気質の批評家は、その傾向が強く、論理的思考回路が甘いのである。飛躍するのである。その飛躍する部分を攻撃することにより、議論を深めることができるであろう。相手も自分の一番気にしている部分を指摘されると、反論したくなるものである。相手の嫌がる部分、気にしている部分を見つけ出し、議論の対象にするのである。
ただし、喧嘩ではないので、冷静になおかつ論理的に行うべきである。喧嘩上等では決して議論が深まらないだけでなく、遺恨を残すだけである。インターネットでは相手の顔が見えないために、横道にそれやすいので、十分気をつけるべきである。
 私は、決してこういうことを勧めている訳ではないのである。一つの議論の仕方を示したまでである。真似をしない方が基本的にはいいのであろう。俳句の議論は結社の中でやるがいいのかも知れない。

                                         2007.10.11