俳句と俳号
俳人の多くは、俳号をもっている。歌人は俳人ほど、歌号をもってはいない。歌号とはいったが、そのような言葉もほとんど聞かない。歌人は実名の方が多いようである。
では俳号、すなわちペンネームを俳人は何故よく使用するのであろうか。
ペンネームを使用するということは、匿名ということである。実名を明かしたくないということである。実名を明かしたくないということは、どういうことなのだろう。
それは俳句は元々、批評性が強いからであろうか。俳句の一分野であった川柳は江戸時代、体制批判にも用いられていた。封建制度において権力を批判する場合、やはり匿名でなければならなかったであろう。その名残ではないかと思うのである。また、匿名の場合、身分を隠したりすることもできるので、句座において、匿名の方が平等が保たれたのではないかと推測するのである。
さて、何故歌人は、実名が多いのであろう。
それは、歌は自己の文学だからではないかと思うのである。自己の心情を表現し、それを相手に分かって欲しいという気持ちが働くからではなかろうか。短歌は恋文にもよく使用されたのである。また、短歌は昔、貴族の文学であり、庶民の文学のように批評性は元々なかったのである。批評性のあるものは狂歌として存在するが、川柳ほどには発展しなかったのである。
2007.8.10