俳歌という新しい文学
「新しい文学の創造」と、威勢のいい若者が時々叫ぶが、大抵大言壮語で終わるのである。
しかし、若者はそれくらい威勢がいい方が伸びるのである。
さて、俳句や短歌、小説など、定まった文学において、「新しい文学の創造」はとても困難なのであるが、自分で文学を勝手に創り、「新しい文学の創造」と叫べはそれほど困難ではないのである。なぜなら、何も定まっていないからである。何をやっても新しいのである。そこで以前、私は俳句と短歌の中間の句、「五七二連句(五七五七)」を提唱したことがあった。どうもネーミングが悪かったようで、これを「俳歌」(はいか)と改めたい。どうであろう。何となく新しい文学という響きが感じられるではないか。ネーミングは大切である。これで「新しい文学の創造」と言ってしまうのである。これくらいの大胆さが今の若者にもあっても良いということである。俳句は一句二句とかぞえ、短歌は一首二首とかぞえるが、俳歌は一作、二作とかぞえるのである。これは私が勝手に決めたことである。何も決まっていない分野であるので、自由に決められるのである。また誰も文句は言わないのである。恐ろしいほど自分だけの文学世界である。多くの人の笑い声が聞こえてきそうであるが、無視するのである。ユーモアを知る本当の文人だけが、価値を少し認めるのである。
俳歌二十作
1 風見鶏くるりと回し春の風吹いてゆきたり
2 薄氷轍の中にきらきらと光りてをれり
3 薄氷張りたる下に空気玉二つ三つあり
4 散る花を車のライト一瞬に写し出しけり
5 ガスボンベごろりと置いて風船を男売りをり
6 干されゐる梅の脇にて小さなる影付いてをり
7 どぶ川に張るの光の忘れ物の如揺らめける
8 ラムネ玉押し込みたれば一瞬に夏立ちにけり
9 若鮎やくの字くの字に光りつつ川上に消ゆ
10 夏の星空に広がり天文台包まれにれり
11 虫網を持ちたる兄と虫籠を持ちたる弟
12 カマキリは己が鎌にて大きなる目玉拭きをり
13 屋根の上(へ)の若き大工は空眺め熟柿食ひをり
14 山道を下りて行けば柿実る里に入りたる
15 風花の光となりて青空の中に消えたり
16 自販機や雪降る中をじんじんと唸りてをれり
17 節分や単身赴任の部屋の中ぱらぱらまけり
18 吹雪の渦雀の渦のぶつかりて空(くう)に舞ひけり
19 押入れを開ければ布団に実存が座りてをりぬ
20 六人の男は酔ひてごろ寝せり闇夜の中に
2008.1.19