俳句と結社
結社には主宰者がいる。先生と呼ばれている場合が多い。主宰者は実力があり、指導力があり、人望がある場合が多い。新しく俳句を始めようとする者は、独学ではなかなか上達しないので、結社などに参加し勉強しようとする。上級者はていねいに教えてくれるので、その結社に親近感が湧き、一番偉い主宰者の俳句を真似しようとする。それでますます尊敬するようになり、結社の発展に貢献しようとするようになる。具体的には会員を増やすために友人や同僚などを誘うのである。そして新しく加入した者に対してていねいに指導することで、結社における地位が向上するのである。その結果、会社のようなピラミッドのような組織が誕生するのである。これか普通の会社組織と異なるのは、利害ではなく俳句という大好きな文学で結びついているので、組織の結束が強いのである。このピラミッドは主宰者とともに発展していくが、主宰者が死亡したりすると、後継者争いが起こり、分裂したり、潰れたりすることがある。それを防ぐために大きな結社になると、その主宰者の近親者を後継者に担ぐことがある。この後継者はそれなりの俳句の知識をもってはいるが、初代ほどの器があるという訳ではない。だが、彼を取り巻く実力のある弟子たちが支えてくれるので何とやっていけるのである。だが、こうなるとその結社は他の小さな結社から「生け花」や「お茶」と同じ芸ごとにすぎないではないかと批判されるようになる。こういうことで「俳句は第二芸術だ」などと非難されたのである。
結社は大きくない方がよい。実力のある主宰者の元で、厳しく指導された方がよほどうまくなるであろう。結社が組織化し、大きくなってくると主宰者は神棚に上げられ、拝まれるようになり、直接の指導は少なくなり、活性化が図られなくなり、組織大事となり、未熟な高弟があいまいに指導するようになり、下手な俳句ばかりが増えるということである。才能のある者がなかなか育たないのである。才能のある者は決して大結社には参加したい方がよいだろう。だが、老後の一つの趣味としてやりたい方は大結社でもよいのである。気楽に気ままに呆け防止で楽しむべきである。
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