俳句を詠む姿勢

 これは俳句の話ではないが、高名な歌人が自分の著作の中で、「机に向かい、静かな環境で、心を落ち着けて歌を詠んだ方が良いでしょう」という趣旨のことを述べていた。だが、「本当であろうか?」と強く感じたのである。なぜならその歌人の名歌はどうもそのような姿勢で詠んだとは思えないからである。精神的に強く沸き立つ状態で詠んだように思うのである。名歌を示すとすぐに誰のことであるか分かってしまうので、具体的には示さないが、その歌人は周囲には人格者として知られており、また大結社を率いている歌人であった。だが、とても気が短い一面があり、激高すると奥さんでも手が付けられなかったそうである。周囲の弟子と家族との接し方には雲泥の差があったのである。私は、そのような気分が激高した時に案外名歌ができたのではなかろうかと思っているのである。しかし、自分を慕う多くの弟子に対して、そんなことをいえる筈もなく、弟子向けに建前的にそのようなことを述べたのではなかろうかと思うのである。
 このことは、俳句にもいえるのではなかろうか。私は、俳句は瞬発力で詠むものだと思っている。特に心象句はそうである。一瞬の心が沸き立つ時の、その一瞬にすばらしいフレーズが浮かぶものである。写生俳句でもその傾向があるのではなかろうか。岡本太郎がいうまでもまなく、芸術は爆発なのである。これは永遠の真理である。短詩文学では特にその傾向が強いのである。俳句も精神の高揚であり、爆発である。この考え方に反論する俳人も多いとは思うが、それはそれでよいのである。文学は主観の産物だからである。

                                        2010.2.5