俳句世界
俳壇において、数は力であるという人がいる。たしかに高浜虚子が生きていた頃のホトトギスは、多くの才能のある俳人を抱え、ホトトギス帝国ともいわれるほどに勢力を持ち、俳壇を支配していたのである。現在でも昔ほどではないが、1万人を超える会員を抱え、小さな俳句世界を形成しているのである。主宰者や幹部が句集を出せば、千部以上は売れるであろう。損をすることはないということである。だが、昔と決定的に異なる点は有力俳人が少なく、稲畑主宰者の俳壇における力も限られているということである。
だが、である。俳句で本当に稼げる俳人は、少ないのである。結社誌を出すことは大変であり、会員を増やし、黒字経営にしていかなければならないのである。経済的安定は、とても魅力的である。結社は300人程度の、ほどほどの大きさがいいと思うが、それではなかなか黒字にはならないのである。よって、主宰者自ら新聞などの選者となって稼ぐ必要がある。江戸時代とそれほど変わらないのである。だが、小説家は小説だけで稼げるのである。雑誌を経営する必要は全くないのである。仲間を集める必要もないのである。俳句は連帯する仲間が大切なのである。俳句は俳句仲間だけでも実存が可能な文学であるともいえるのである。閉じられた小さな世界ではあるが、それでもしっかりとした世界なのである。その世界で生きていけるのである。同じ傾向をもった人々の楽しい世界なのである。その世界で満足している方はそれでよいのである。野心を持つ人はその結社内で力を蓄え、仲間を誘い、新しい結社を結成すればよいのである。さらに才能があって野心を持つ人は、結社を大きくして数で俳句世界に君臨すればよいのである。しかし、価値も多様化の時代であるので、昔のようには無理かも知れない。
2007.11.17