俳論の書き手は何故少ないのか

 俳句実作者に比べ、俳論の書き手は少ないが、何故であろう。
 第一の理由として、ある程度の俳句の知識がなければ書けないということが上げられよう。俳句の初心者及び初級者には、まず無理である。知識だけでなく、ある程度俳句を詠める方でないとなかなか書けないであろう。
  次に発表の場がそれほどないのである。俳句は短い故に一ページに二三十句は載せることができるが、俳論は何ページか必要である。大して内容のない俳論で枚数を取りすぎると同人及び会員から反感を買うであろう。
 第三の理由として、主宰者よりも立派な俳論を書けば、また立派なことを述べれば、主宰者から反感を買うということである。また主宰者だけでなく、俳句仲間からも同様である。俳論はつい立派なことを書きやすいので、
「立派なことをお前は書いているが、それがお前はできていないではないか。我々よりも下手な俳句を作る奴が立派なことをいうのではない」
と批判されるであろう。
 その他の理由として、主宰者が実作中心の場合、俳論を重要視しないために、結社の中では書き手がなかなか育たないであろう。だが反対に主宰者が俳論好きであり積極的に推奨するならば、弟子にも書き手が育つであろう。主宰者が書き手を育成しようとする結社には勢いがあり、若手も集まりやすいであろう。

                                               2007.9.26