春木立・秋木立


 以前から不思議に思っていたことがある。何故夏木立と冬木立があって、春木立と秋木立が季語として存在しないのであろうか。そもそもこの言葉が日本語として存在していないのであるが、何故であろう。
 この二つの言葉は夏木立や冬木立と比べて印象が薄いのであろうか。
 春木立からどのような景色を想像するであろう。何本の木々が並び、木の芽が芽吹き、少し若葉も出ているであろうか。それほど目立たない風景であるかも知れない。また秋木立からはどうであろう。葉が少し紅葉し、くっきりとした印象が湧かない感じもする。夏木立や冬木立よりもやや印象は薄いが、春木立も秋木立も想像できない風景ではない。また季節感が感じられないわけでもないので、俳句も作れそうな気がする。

春木立遠くで列車の汽笛音
秋木立雲大らかに流れゆく

俳句が下手であるのは仕方ないが、才能のある方なら秀句もできそうな気がする。春と秋の言葉が入っているので、季語にもなるのである。この印象の薄い季語で秀句が作れる方は本当に才能のある俳人であろう。
                            2005・11・1

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