春の海と春海について

 角川の歳時記を読書していると「春の海」という項目に出会った。しかし「春海」がないのである。またパソコンで「しゅんかい」を変換しても「春海」が出てこないのである。また「夏の海」はあるが「夏海」はなく、「秋の海」はあるが「秋海」はなく、「冬の海」はあるが「冬海」はないのである。つまり「春海・夏海・秋海・冬海」の音読みは存在していないのである。語感として夏海(かかい)と秋海(しゅうかい)には違和感を感じるが、春海(しゅんかい)と冬海(とうかい)はあってもよさそうに感じるのである。
 さて、「春の海」の名句に次の句がある。

春の海ひねもすのたりのたりかな     与謝蕪村

この季語を春海に替えると、

春海のひねもすのたりのたりかな     改作

 となるが、どうであろう。やはり訓読みの「春の海」の方が春の海のやわらかさや気候のあたたかさなどを表現できているように思う。春海は発音がかたくまた強く響くので、ほとんど使用されなかったのであろう。日本人が春海を使用していたなら、季語としても認知されていたであろう。春海は日本語として認知されていないということである。ありそうでない日本語ということである。これが今夜の一つの小さな発見であった。

                                        2008.10.24