響きの始まりと切れ字

 俳句には切れ字があり、その切れ字で俳句が響くのである。これはあたりまえのことであるが、俳句が和歌から分離した頃はどうだったのであろう。そもそも切れ字は意識されていたのであろうか。切れ字という言葉があったのであろうか。
 恐らく初期の頃の俳句は、「けり」や「たり」などの助動詞で終了する形式が 多かったのではなかろうか。三句切れの和歌が一般にそうである。また、切れ字の代表格である「や」はあまり使用しなかったであろう。なぜなら和歌ではほとんど使用しないからである。響きが意識され初めてから「や」の有効性に気付く俳人が現れて、頻繁に使用されるようになったのではなかろうかと思う。
 俳句は響きがとても重要である。これは定説である。俳句は短いため、響かせることにより深みを表現しているのである。そのために切れ字を有効に活用するようになったのである。切れ字は「俳句というもの」ができてから、多くの俳人によって、生み出され、その有効性が認識されるようになったものであろう。響きが重要であるから、切れ字が活用されるようになったのであろう。つまり「響き」があって、「切れ字」があったのではなかろうか。切れ字が先ではなく響きが先である。これは重要なことである。多くの俳人は切れ字が先と考えているが、響きが重要なのであり、重要な方が先なのである。響きが目的であり、切れ字は手段にすぎないのである。
 よく響く俳句はよい俳句である。それは俳句の音だけでなく、意味をも快く響かせるのである。

                                        2007.9.26