惹きつける表題
私はこういう表題の書き方は好きではないのである。決して勧めている訳ではないのである。しかし、俳論はなかなか読んでもらえないのである。それで読んでもらうために、表題を工夫するのである。ニーチェは「神は死んだ」と述べて衝撃を与えたのである。
たとえば俳論の場合、「俳句滅亡論」などと表題を付けよう。内容は現在の俳句を貶し、こういう新しい俳句が未来の俳句だ、などと論じるのである。だが、恐らく内容が表題に負けているであろうから、最後は笑われるだけであろう。新しい俳句理論はなかなかできないのである。仮にできるなら既に誰かが書いているであろう。よって、表題が衝撃的だけでは、やはりだめなのである。しかし、衝撃的表題が思い浮かぶということは、新しい発想が思い浮かぶということに繋がるのではなかろうか。私の場合は、まず表題が思い浮かぶのである。すると内容が連続的に思い浮かぶのである。表題だけで半分決まってしまうようなものである。それほど表題は重要であると私は考えているのである。
さて、句集の題はどうであろう。平凡な題がいいというお年寄りの先生は多いのである。だが、本屋にたくさんの本が並んでいたとしよう。平凡な表題では、まず手にも取ってもらえないであろう。やはり「これは何だ!」というような題がいいように思うのである。小説の世界ではそうである。いかに人を惹きつける題をつけるかが大切である。俳句の世界もそういうことに注意を払ってもけっして悪いことではないように思うのである。
2007.10.9