俳句の比喩

 比喩には直喩法と暗喩法がある。直喩法は「ごとく・ごとし・ようだ」というように物を何かに例えて、「~のようだ」と記述する方法である。俳句では「ごとく」と表現する場合が多い。直喩の代表的句は次の二つである。

一枚の餅のごとくに雪残る     川端茅舎

ところてん煙の如く沈み居り    日野草城

 暗喩法とは、「何々は何々である」という風に直接対象を他に表現することである。二つの句を暗喩法で作り替えてみよう。

一枚のお餅なりけり雪残る     改

ところてん煙となりて沈み居り   改


 どちらを使用するかは俳人の好みであるが、直喩は「如く・如し」という言葉を付けなければならないので、俳句のような短い詩形ではやや使いづらいという気もする。しかし好みの問題である。
 比喩は詩にとってもっとも重要な要素であるが、俳句に比喩を全く入れない方もいる。俳句に比喩は似合わないという理由からである。俳句と詩とは異なるという考えに立脚しているのであろう。写生派はあまり使用しないようである。
 さて、直喩法は分かりやすいのであるが、暗喩法は少しわかりにくい面がある。暗喩だからである。暗に示していることがあるからである。一見気がつかないのである。


母の日や大きな星がやや下位に  中村草田男

 この句は暗喩法の句であり、大きな星は母のことであり、母親の昔の家族における位置をも示しているのである。母親の比喩とその位置の比喩とを二段がけした実によくできた句である。暗喩法は二段がけができるのであり、ここが直喩法よりも高級な点なのある。草田男は正真正銘の詩人であり、俳壇史に歴然として輝く俳人である。前衛派といってもよいくらいである。
 前衛派は暗喩を巧みに使用して詩歌を造形するのである。詠むという言葉は彼らには相応しくないのである。前衛派は基本的に詩人なのである。敢えて俳句を選択する必要もないのである。しかし、偶然か必然かは分からないけれど俳句を選択したのである。よって俳句が巾の広いものとなったのである。俳句から暗喩が消えたら実につまらないものとなったであろう。一流といわれる俳人は全て詩人である。これは真実なのである。

                                                   2008.1.13