本句取り

 短歌の世界では本歌取りをすることがよくある。本歌取りとは、元になる本歌がありその歌の一部分を真似ることによって、元の本歌のイメージと本歌取りした歌の二つの意味を一首の短歌にこめる技法であり、肯定的にとらえられている。
 しかし、俳句の場合は、本句取りは類似句ということで、現代俳句界では嫌われている。本句取りする俳人もほとんどいない。俳句は短いので、本句と句との違いが明確になりにくいのであろう。だが、実際はどうなのであろう。やってみる価値はありそうである。本句は誰もが知っている名句がよいであろう。
 
五月雨を集めて早し最上川   芭蕉

五月雨を集めてダムや放電す  孝治

 芭蕉の句を現代風に本句取りしたものである。昔はダムはなかったのである。だが今は水を集めるのものはダムである。ダムは発電するのである。理屈にはなっているであろう。類似句とはいえないであろう。風情があるかどうかは別として、本句取りはやりようによっては文学的価値はあると思うのである。
 だが、「五月雨を集めて早し信濃川」は当然ながら類似句である。文学的価値もない。相手にもされないであろう。

                                        2007.8.11