古池の名句小劇場
古池や蛙飛こむ水のおと 芭蕉
さてこの句を前回分析したが、何か言い足りない気がするのである。この句は音が大切であり、「音の句」であることは理解できるのであり、その音の広がりに重要な意味があるのだと思う。
「古池や」は「蛙飛こむ水のおと」の中下句ができてからあれこれ考えた末、付けられたということで、上五は写実という訳ではないのである。しかし、芭蕉にしてみれば句の状況を想像して句を味わってほしいという願いをもっていたと思われる。芭蕉がそう直接言った訳ではないが、一般的にそういうものである。その意向で句を味わうことにしよう。
さて味わい方であるが、普通に解釈しては面白くないのである。それで「名句小劇場」でやるのである。この小劇場的解釈は、場面が分かりやすいだけでなく、名句の価値も中学生でも理解できるのである。「解釈の新しい方式」であると自分では勝手にそう思っているのである。
登場人物は「芭蕉」とお茶の達人である「宗達」の2人である。その場面には古池があり、その脇に茶室があることとする。つまり古池と茶室のあるお屋敷の中の出来事ということにしよう。時間帯は日差しがやや強い頃であり、蛙がまだ鳴き出していない昼下がりということである。
芭蕉は屋敷の主人の宗達から茶室に誘いを受け、現在茶室で茶の接待を受けているのである。
宗達「芭蕉殿、いい句はできましたか?」
芭蕉「いやいや、新しい境地の句はなかなかできませんよ」
宗達「芭蕉殿ほどの俳人なら、現在のままでもよさそうなものとは思いますが・・・」
芭蕉「いやいや、同じ場所にずっと立ち止まっているようでは俳人としては終わりですよ」
宗達「なるほど、芸は立ち止まってはならないということですね。絶えず先に目を向けて新しい境地を開拓していかなければならないということですね・・・。ではどうぞ」
宗達は茶碗を芭蕉の前にそっと置いた。芭蕉がそれを両手で持ち、一口飲もうとした時、「ポチャン」という音が外から聞こえてきた。
芭蕉「何の音でしょう?」
宗達「茶室のすぐ脇に池がありますから、恐らく蛙あたりが池に飛び込んだのでしょう」
芭蕉「蛙が飛び込んだ音ですか・・・」
芭蕉はそういうと暫く何か考えていた。
宗達「何かいい句が浮かびましたか?」
芭蕉「ええ、蛙の飛び込む音がはっきり聞こえるということは、とても静かな昼下がりということですね・・・・・・」
宗達「ええ、この辺りは蛙が鳴き出さなければとても静かな場所ですよ」
芭蕉「確かにそうですね・・・。『蛙飛こむ水のおと』という句が浮かびましたが、それを支える上五は何にしようか迷っております」
宗達「水のおとが広がる場面がいいように感じられますが・・・」
芭蕉「そうですね。やはり静かな場面ということで・・・」
宗達「では『閑さや』では如何ですか?」
閑さや蛙飛こむ水のおと
芭蕉「『閑さや』ではそれが強調されすぎて、少し嫌みになってしまいます」
宗達「なるほど、そう言われれば確かにそう感じますね・・・。ではそのまま素直に詠みますか」
芭蕉「確かにそれでよいのかもしれません・・・」
古池や蛙飛こむ水のおと
芭蕉「宗達殿、これで如何でしょう」
宗達「おお、素晴らしい句ですな。それにこの句にはお茶の世界でいう『侘び寂び』も感じられますよ。水の音が閑かな世界に侘びしく寂しく響いているように感じられます。俳句に侘び寂びの世界を持ち込んだ名句だと思います。新しい境地を開拓した句ですな」
芭蕉はそれを聞いてまんざらでもないような笑みを浮かべた。再び、蛙の飛び込む音が聞こえてきた。閑かな昼下がりのでの出来事であった・・・。
という風に解釈してみたが、如何であろう。恐らくそれほど芭蕉も文句を言わないであろう。
2008.9.20