遺伝子の文学
ホトトギスをあげるまでもなく、親子で俳人は多く、また両方とも才能のある俳人も結構いる。それに比べ夫婦で俳人はとても多いが、親子俳人ほど有名な方はいない。これはどうしたことであろう。俳句の才能は遺伝するということであろうか。私はやはり遺伝するのだと思う。俳句の才能というより、詩人気質ということであろう。詩人は空想力があり、わけの分からないことを考える人たちである。親子でそんな方は私の周囲にもいる。親子で同じ芸術関係の仕事をしたり、祖父が俳人で、父親が歌人で、その息子は俳人とかである。
俳句は継承の文学であるともいわれており、父親の結社を息子が引き継ぐということもある。その場合、息子にも俳人としての才能がなければやはりだめである。周囲が認めてくれないであろう。認めてくれるだけの才能がなければならないであろう。ホトトギスも親子で継承されているが、才能はあるのである。だから継承できるのである。親子で遺伝している部分はあるのである。特に俳句の遺伝子は、他の芸術の遺伝子よりも小型で継承力が強く、引き継がれていく遺伝子である。でも好き嫌いがあるであろう。父親の俳人がとても酒乱で暴力をふるう人であった場合、その娘は俳句の才があっても俳句をやらずに、短歌に向かうかもしれないのである。俳句の遺伝子が短歌の遺伝子になってしまうのである。だが文字が多いほど遺伝子はその力が小さくなり、遺伝する力も弱くなるのではなかろうか。親子で小説家はずっと少ないのである。
遺伝子レベルのことであるので、やや主観を加えて述べてしまったが、大きく外れていないように思うのである。
2007.10.14