切れ字の間と響きに関する重要な考察
切れ字「や」によって間が生まれる。例を示そう。
降る雪や明治は遠くなりにけり 中村草田男
毎回のように示す例句であるが、この句は切れ字を学ぶにあたりとても素晴らしい名句である。さて、この句を声に出して詠んでみよう。・・・どうであろう。「や」の後で明確に「間」という空間が存在しているであろう。これは物理的に確かめられることである。間が空間であることを知ったのは声に出して詠んでみたからである。詠むことはとても大切なことである。
降る雪「や」 明治は遠くなりにけり
この間は一秒もないが、明確な間である。さて、間という現実空間には何が存在しているであろう。そこに存在しているものは「空気」である。これも一つの発見であった。さて空気の分子は振動するのである。振動して音を伝えるのである。ということは「響き」を伝えるということであろうか。
さて切れ字といえば、次の名句である。
霜柱俳句は切れ字響きけり 石田波郷
石田波郷は切れ字を何だと考えていたのであろう。詳しい資料がないので、この句から推測するしかないのであるが、霜柱を踏みつぶした時のように切れ字が響くといっているのである。波郷は実際に切れ字は響くと考えていたのであろう。これは間違いのないことである。波郷の響きにはやはり空間が必要なのである。響きとはそういうものなのである。これを「物理的響き」ということにしよう。
さて降る雪の句に戻ろう。
降る雪や□明治は遠くなりにけり□
再びしっかりと詠んでみると、「や」の後に小さく「ゃゃ・・・」
と響いているように聞こえるのである。また「けり」のあと小さく「りりり・・・」と響いているようである。そう聞こえるのである。
さて、詠まなくとも心の中で響いているという方もいるであろう。間が心の中にあるという考え方である。その間に切れ字が響いていると感じるのである。これを「心理的響き」ということにしよう。実際はこのように考えている方が多いかも知れない。それは俳句を実際に声に出して詠まないからである。
さて、切れ字の「物理的響き」を取るか「心理的響き」を取るかは人それぞれであるが、私は物理的響きを取るのである。耳に聞こえるもの、響くものをまず第一に信じるからである。心は常に薄闇に覆われており、科学が介在することを昔から拒むからである。つまりどのようにでも解釈可能だということである
2008.11.21