インターネットの活用
インターネットは、実に便利なものである。百科事典としても、情報発信の場としても、交流の場としても、またテレビや映画、電話としても活用できるのである。こんな便利なものはなかなかないであろう。インターネットの弊害などと論じられることもあるが、この便利さは、交通事故があっても決してなくなることのない自動車と同じものである。
さて、俳句にはどのように有用であろう。よく知られているものにインターネット句会がある。以前少し参加したことがあるが、直接句会にいかなくて句会に参加できるメリットがあり、足腰の悪い方にはとても便利である。活用によってはなかなか良いものである。それ以外にも私のように俳論や俳句の発表の場としても活用できるのである。句集を出せば百万単位の金がかかるが、インターネットであると数千円である。実に安いのである。
また、調べたりすることにとても役立つのである。子規のことを調べたければ、検索機能に「子規」と打ち込めばそれなりに情報を得ることができる。それなり、というのはやや不完全な情報もあるということである。また間違っている場合もたまに見かけられるのである。インターネットの情報は、書物などに比べ信頼性がやや低いのである。書物を出す場合、作者はしっかりと調べて出版するであろう。インターネットの場合、それほど調べなくても気楽に発表してしまうのである。間違ったら直ぐに書き直せるという利点があるので、情報発信にそれほど神経を使わない方が結構多いのである。
このようにインターネットはとても便利であるが、パソコンを使うということで、お年寄りには操作が難しく、その便利さを活用できない人たちも多いのである。しかし、今後パソコンを活用できるお年寄りも増えてくるであろうし、通信手段としてもさらに欠かせないものになってくるであろう。
未来においては、ペーパーの俳句雑誌も無くなるかも知れないのである。ネットで俳句誌が発行されるであろう。いや、選択という方式かも知れない。つまり、どの時代においても機械が苦手な方々は存在するのである。パソコンは絶対使いたくない、という人は必ずいるであろう。また、俳句はペーパーで読みたいという人もいるであろう。そういう人々のためにペーパー誌は必要であろう。しかし、雑誌はパソコンで読むという人々は確実に増えてくるであろう。単行本サイズの小型パソコンの中に数千の雑誌等が入れることも可能である。句誌をパソコンの中に入れてしまうことは現在でも可能であり、ペーパーレス時代がもうすぐやって来るであろう。
私は「ウィンドウズ95」以前のドスブイの黒い画面の頃からやっており、パソコンオタクと言われ、やや変人扱いされたこともあったが、今ではその技術が仕事にも趣味にもとても役立っている。インターネットでは、汚い六畳部屋から十階建ての会社のようなホームページを発信できるのである。詐欺的かも知れないが、とてつもなく広い世界と繋がっているのである。活用によってはとんでもないことができることを知ってはいたが、性格的にこつこつタイプであり、博打が嫌いであるので、発想はあったが、金もうけはしなかったのである。仕事と趣味で役立てばいいと思っていたのである。しかし、まだまだインターネットにはお宝がたくさん隠されているのである。お宝たちは、若者たちに発見されることを待っているのである。
2007.9.23