俳句の神様降臨
      
 長年俳句をやっていると、まれに佳句ができることがある。その時はアドレナリンが体全身に放出されたようになり、何ともいえぬいい気持ちになるのである。まさしく俳句の神様が降臨したような感じである。しかし、二三日経ち、冷静になってくると憑き物が落ちたように作った俳句が凡作のように見えてくることがある。あの感動は何処へ行ってしまったのであろうか、・・・なかなか良い俳句はできないな、などと思うのである。
 だが、何日経ってもよい作品に思える場合もある。これはひょっとして本物か、と思うのであるが、句友からその手の作品は過去にありますよ、などと指摘されてがっかりしてしまうのである。良い句であったとしても、自分より先に先達が同じような句を作ってしまっているケースことはよくあることである。
 だが、まれにいつまでも光を発っし続ける句もある。これこそ本物か、と思うのである。それで先生などに多少自慢げに見せるのである。そしてがっくりと憑き物が落ちてしまう場合もある。だが先生に褒めてもらえると、とても嬉しいのである。さすが、私の先生だ、ということになるのである。そういうことが、三年に一回もある方は大したものである。高弟であろう。
 私も、昔はこれはという前衛句がよくできたものである。ただ、認める人はほとんどいなかったのである。なぜなら評価を越えていたからである。写実句を作るようになってからはめっきりとそういうことが少なくなってしまったのである。写実句は良し悪しがよく見えるので、評価しやすいのである。駄句は駄句なのである。自分でもよく分かるのである。俳句の神様降臨なんてことはなくなってしまったようである。勘違いも然りである。

                                                  2007.6.11