俳句と仮名遣ひ
仮名遣ひには、歴史的仮名遣ひと現代仮名遣ひとがある。歴史的仮名遣ひは戦前まで使用されてゐた言葉遣ひであり、戦後改革によつて、現代仮名遣ひが一般に使用されるやうになつたものである。小説や自由詩などは現代仮名遣ひにほぼ統一されてゐるが、短歌と俳句だけは現代でも歴史的仮名遣ひの勢力が根強いのである。特に俳句の方が歴史的仮名遣ひを使用する方が多いやうに思ふ。まだ俳句世界には、現代仮名遣ひ短歌の俵万智のやうな俳人が登場してゐないからであらう。
さて、何故俳句は歴史的仮名遣ひで句を詠む人が多いのであらう。それは小説や自由詩とは異なり、日本伝統の詩だからであらう。芭蕉や蕪村などの作品だけでなく、文字の歴史の影響がとても強い文学だからである。尊敬する芭蕉が歴史的仮名遣ひで俳句を詠むならば真似たくなるであらう。また、歴史的仮名遣ひの方が何となく上品で深みがあるやうに感じられるであらう。だがそれは感じだけなのであり、慣れれば現代仮名遣ひでも違和感はないであらう。しかし、である。これは趣向の問題である。歴史的仮名遣ひが好きな方は理屈なしで好きなのである。私もさうである。俳句には歴史的仮名遣ひを使用してゐる。だが、この文章を読んで如何に感じるであらう。やはり違和感があらう。書いてゐる本人がさう感じてゐるのである。やはり文章は現代仮名遣ひが良いやうである。ただし、歴史的仮名遣ひの修得のために、敢へて歴史的仮名遣ひで文章を書いてみるのも良いかも知れない。
2008.1.4