カタカナと俳句
外来語はカタカナ表記であり、すでに立派な日本語とっている。バナナ、アメリカ、パソコン、ピアノなど直しようもないのである。また外来語を使用しないと俳句世界が狭いものとなってしまうであろう。よって自由に使用してよいということである。だが、レモン(lemon)を檸檬とわざわざ漢字表記にする人がある。梶井基次郎の有名な小説「檸檬」があるからその方が良いのであろう。外来語を漢字に直すのも趣向としてはいいのだろう。しかし亜米利加などは今一つであろう。
さて、戦前は外来語やカタカナは俳句に相応しくないという意見が強かったようであるが、それはそれで理解できることである。今ほど外来語が多くはなかったからである。また、俳句のような日本独特の文化に外来語を入れたくなかったのであろう。現在では外来語に抵抗感のない若者がほとんどであるし、外来語やカタカナを認めないという若者はいないであろう。もしかしたら「絵文字」もOKの時代が来るかも知れないのである(^^)。「絵文字と俳句」で書こうと思えば何か書けそうである。しかしまあ、21世紀中に絵文字俳句は登場しないであろうが・・・・。
日本独特の文化といえども、俳句も時代によって少しずつ変化する文学であることは確かなようである。
2008.1.3