カタカナと季語

 歳時記を読んでいたら、「初電話」という季語があった。若者は「初メール」であろう。恐らく初メールの方が利用者は遙かに多いであろう。私の愛用する歳時記は昭和57年発行であるから、なくて当たり前である。しかし新しいあるいはこれから出版される歳時記には「初メール」はほぼ載っているであろう。
 さて、カタカナ季語は今後増えていくであろうことは想像できるのである。カタカナ季語は外国から入り、日本に定着したものである。他にどんなものがあるのだろう。野菜などは如何であろう。私の古い歳時記にはピーマンが載っていなかったが、新しいものには恐らく載っているであろう。
 さて、パソコンの場合はどうであろう。この分野は新しい言葉が凄い勢いで毎年導入されているのである。日本語に訳しようもないので、英語がそのまま外来語である。だが、どうなのだろう。例えば「パソコン」という言葉はどうであろう。絶対に季語にはならないのである。なぜならパソコンに季節感がないからである。つまり季節感のないものは絶対に季語にはならないということである。「初メール」は初があるから季節感が感じられるのである。パソコン用語は季語にはならないようである。だが「春のパソコン」はどうであろう。季節感が感じられるであろうか・・・。やはり無理である。パソコンに季節感がないので、「春の」を付けても意味がないように感じられるのである。カタカナ季語はやはり季節感がないとどうしても駄目なようである。

                                           2008.10.25