俳句の形成過程
俳句はどのような手順で完成されるのであろうか。一般的過程を考えてみよう。
まず、第一に対象を「観察する」ことである。景色を眺めて、桜の花に注意が向いたとしよう。それをじっくりと観察するであろう。そして、「考える」作業に入るであろう。考えながら、ノートに句を記載するであろう。すなわち「書く」過程である。書いた作品を部屋に戻り、「推敲」するであろう。切れ字を加えたり、前後を入れ替えたりするであろう。「一次完成」となる訳である。完成で終わりということではなく「評価」が残っているのである。評価は句会などにその作品を出し、句友や主宰者から批評してもらうのである。「平凡、月並み」の評価が下されれば、作成者は残念ながら「没」にするかも知れない。また高い評価を受ける場合は残し、「完成作品」となるのである。句集などに入れるのである。客観的に評価を受けるまでが、重要である。
「観察する」「考える」「書く」「推敲する」「一次完成」「評価を受ける」「作品完成」の過程を通じて作品は出来るということである。これは写実作品の例である。
前衛俳句は、この過程を取らないのである。前衛俳句の場合、いろいろな過程があるであろうが、私の場合、まず第一に、「部屋でごろごろ」するのである。そして、「ああでもない、こうでもないと空想」するのである。そうすると「ふと、閃く」のである。閃いたことをノートに「書く」のである。前衛俳句の場合、比喩が重要であるので、その部分を中心に「推敲」するのである。これで完成である。「評価」であるが、人の評価はあまり関係がないのである。評価を受けたからといってそう簡単には変えないのである。さあこれで独りよがりの前衛俳句の完成である。独りよがりといったが、ここが大切である。独りよがりが高い評価を受ければそれでよし。だめなら駄作ということである。しかし駄作と秀作の境目がはっきりしてないのが前衛俳句である。前衛俳句は評価しにくいということである。その形成過程も人によってバラバラということなのである。