携帯俳句

 携帯小説が登場したのである。そして大ヒットしているのである。携帯小説は本にもなっており、横書きである。それも長々と書かないのである。携帯の画面に相応しい長さである。
 さて、携帯俳句も当然として登場するであろう。携帯俳句を作る場合、歳時記はまず持って作らないであろう。歳時記を持つ位ならばノートに向かって俳句を作るであろう。ということは、季語のような面倒なことは、あまり考えないであろう。携帯だから相手を意識して作るであろう。恐らく伝言俳句のようなものであろう。それに文学的価値があるとかないとか言わないであろう。だが、価値基準は「おもしろいかどうか」ではないかと思うのである。「この俳句おろしろいね」といわれれば価値があるということである。「あの海の君の瞳に映るボク」なんて感じに若者は作るのではなかろうか。笑ってはいけないのである。今時の若者のレベルはこんなものであろう。俳句もハイクとなり、携帯ハイクということである。若者にとって、俳句という文字はやや古く感じるであろう。こんなハイクがたくさん登場するようであるなら、老人たちは嘆くであろう。しかし心配する必要はないのである。若者はやはり俳句をやらないからである。

                                             2008.1.13