季語と地名

 長谷川主宰の書いた「一億人の季語入門」という書物の中で、地名が季語と同じ働きをするという趣旨のことを述べている。

沖縄や悲しきことを晴晴と    小栗たつゑ

 この句は無季であるが、沖縄が夏の季語の働きを示しているというのである。沖縄といえば沖縄戦であり、それは終戦間近の夏の出来事である。それで、夏の季語の働きをするというのであろう。
 さて、ここからが私の考えであるが、沖縄が夏ならば他の都道府県は何の季語の役割を果たすのであろう。やはり雪国新潟は冬であろう。これは動かないとして、青森や北海道も冬であろうか。それならば北国がみんな冬ということになってしまう。これではおかしいであろう。富山県はチューリップの産地であるから、春でもよいであろう。東京は季節のない街の雰囲気があるから、無季であろう。山形はサクランボの産地であるから夏がよいであろう。広島・長崎も原爆投下のあった夏であろう。山梨県は葡萄の産地であるから秋であろう。さて、こんな風にして考えているのであるが、都道府県が全て季語にはならない気がしてきたのである。
 では、地域名ではどうであろう。軽井沢は夏であろう。秋の宮島はやはり秋であろう。白川郷はやはり冬であろうか。湘南はサーフィンということで夏であろう。鳥取砂丘は夏であろう。スキーの蔵王は冬であろう。吉野山は桜で有名なので、春であろう。夫婦岩は注連縄で新年であろうか。
などと考えてみたが、地名はぶらんこ(春の季語)のように季節感の弱い季語の働きをするように感じられるのである。

                                           2009.4.26