季語と季題の違いを考える

 この二つはよく混同されている。何年も俳句をやっている方でも曖昧な解釈をしているのではないかと思うことがある。何故混同されのであろう。それは二つの区切りが曖昧模糊としているからである。特に季題がよく分からないのである。季語は全く悪くないのである。悪いのは季題である。たとえば、ある句会でこんなことがあった。

A「今日の季題は美味しい梨がテーブルの上にありますので、梨ということにしましょう」
B「梨は秋の季語ではありませんか?」
A「ええ、そうです。今回はこれを季題としたいと思います」
B「季語と季題は同じでいいんですか?」
A「時には同じでもいいんですよ」
B「時には、ですか」
A「ええ、そうです。季語は季節の言葉であり、季題とはやや異なります」
B「そうですか」
A「ええ、そうです。そういうものなんです」

 実は私は何となく理解しているのであるが、これを初心者、初級者に理解を求めることは困難である。やはり季題の定義が曖昧なんだろうと思う。それに比べ季語は理解が容易である。「季語は歳時記に載っているものです」といえば小学生上学年でも理解できるように思う。「季題は季語になる場合もありますが、ならない場合もあります」などと言われたら、小学生上学年にはまず理解不可能である。
「小学生などに理解される必要はないでしょう」
 という俳人もいらっしゃるであろうが、これから俳句を始めようとする年輩の方々にも理解困難ということではなかろうか。いやいや、もしかしたら長年俳句をやっている方も本当は理解していないのではなかろうかと・・・。まあ、そんなことはないであろう・・・。多分。
ということで、季題の定義を明確にするのである。

○季題はその季節を表す題である。
○季題は原則として季語であってはならない。しかし季語であっても多くの季語を包括する大きな季語ならばよいこととする。
○季題は季語を二つ以上含むものでなければならない。

 ということではどうであろう。

たとえば、5月に何人かで吟行に出かけ、あるフラワーガーデンを訪れたということにしよう。
「今日の季題は、『この花壇の花々』ということにしましょう」
「この花壇に咲いている花ならば何でもいいということですね」
「ええそうです。何の花でも結構です。ただしこの花壇の花ですよ。これを無視すると季題としての意味がなくなります」
どうであろう。分かりやすいであろう。

他の例を出そう。
7月に滝を観に、吟行に出かけたとしよう。
「今日の句会の季題は、滝ということといたしましょう」
「それはまずいのではないですか。滝は夏の季語であり、季語と季題が混同されてしまいます」
「それでは、『水の流れ』とでもしましょうか」
「それは良いと思います。それならば滝だけを詠む必要もありませんし、夏日に輝く水の流れを詠んでもいいので、広くて分かりやすくて、詠みやすいです」

もう一つ例を出そう。
「味覚の秋といいますので、今日の句会は『秋のくだもの』を季題にしましょう」
「しかし、テーブルの上には梨があります。梨に限定してはいかがでしょう」
他の俳人もそれに同意したとしよう。
「では、梨で句を詠みましょう」
「この場合の梨は季題ですか?」
「いいえ、季語です。梨という季語で句を詠むということです。つまり季題が季語そのものならば、季題という言葉を使う必要もなく、『季語で句を詠む』ということです」

だめ押しでもう一つである。
「今日は一月三日ですから、お正月を季題にして句を詠みましょう」
「それは句に必ず、お正月という季語を入れるということでしょうか?」
「いいえ、違います。お正月を感じさせる季語等を使用し、句を詠むということです」
「ではお年玉でも凧あげでも元旦でもいいということですね」
「勿論、その通りです。またお正月という言葉を使用しても構いません。この季語は多くの季語を包括する季語だからよしとします」
「分かりました」

如何であろう。これならば季語と季題を混同する大人や中学生はいないであろう・・・。多分。

                                         2008.12.20