王道解釈

 田一枚植て立去る柳かな      芭蕉

 この句は、「奥の細道」で詠まれた句であるが、その解釈はいくつか存在すると以前から指摘されてきた。

その一 
早乙女たちが一枚の田を植えて立ち去った後に、柳が涼しく戦いでいる。
その二
早乙女たちに田が一枚植えられたのを見て、師匠が立ち去り、柳だけが残った。
その三
早乙女たちが植えている田植に芭蕉たちも手伝って、一枚植え終えたので立ち去った。
その四
柳の精が現れて、一枚の田を植えて立ち去った。

 この中でどれが正しい解釈なのであろう。芭蕉から直接聞くことができればそれでよいのであるが、それは無理なので、どうしても決めたいというならば「王道解釈」をするべきであろう。王道解釈とは多数決の解釈でもあり、この四つの中で最も正しいと多くの人々が賛成したなら、それに決めるということである。多数決は一般的な解釈になるであろうことが想定されるのである。よってこの場合、一番目の解釈が最も王道解釈に相応しいということである。
 さて、私も分析してみよう。まずこの句を分かりやすくするために、句に主語と修飾語と句読点を入れてみよう。

(早乙女が)(を)一枚植て、(その場から)立去る。(そしてその後には)(が風に吹かれていること)かな

 どうであろう。一番の素直な解釈が一番適切と思われる。
 さて、その他の解釈はどうなのであろう。もしかしたら、芭蕉は二番の意味として句を詠んだのかも知れないのである。結論は出ていないのである。よって、それぞれの解釈には意味があるということである。でも無理矢理の解釈は如何かと思うのである。
また、いくつもの解釈が存在する句は、名句ではないと思うのである。敢えていうなら迷句であろう。

                                               2009.5.7