綺麗主義者たち
俳句を美しく、綺麗に詠もうとしている人たちがいるのである。季語もどちらかといえば美しい雰囲気を持つものを無意識のうちに選択しているのである。ゴキブリやアブラムシ、なめくじ、蚤、南京虫、ぼうふら、蠅などの句は決して詠まないのである。このような人たちを綺麗主義者というのである。美を美として詠むことが当然と考え、美しく抒情しようとしているのである。己の句に酔うことのできる人たちである。個人的には美を美として表現して何がおもしろいのかと思うのであるが、美の句を喜ぶ人たちが数多く存在するので、否定はできないのである。しかし、才能は大したものではないな、と思ってしまうのである。綺麗主義者たちは、了見の狭い性格であると断定してしまうのである。俳句を無意識のうちに生け花程度にしか考えていない人たちである。偏見的であるが、大きく外れていないように思うのである。
私の今日は、断定主義者なのである。非美に興味を持ち、いかに詠むかを考えているのである。とにかく、汚いと思われている季語を如何に価値ある句として詠むかは、大きな課題の一つであると思うのである。
2007.11.2