「草田男の犬論争」を考える

 「草田男の犬論争」とは、赤城さかえという人物が、昭和22年の雑誌において、中村草田男の句の中で一番優れた句として、「壮行や深雪に犬のみ腰をおとし」の句をあげ、この句が俳句文芸の現代最高水準であると書いたのである。それについて、多くの反論が巻き起こったのである。
 赤城さかえは、この句を戦争を賛美している人々の中で、犬のみが冷静にかつ批判的に戦争を眺めていると解釈したのである。つまり戦争批判という思想を含んだ句ということである。
 これについての反論はいくつか上げられているが、私なりに反論してみたい。「犬のみ腰をおとし」が戦争を批判している姿勢というなら、こういう句はどうだろう。

壮行や深雪に犬が吠えてゐる   改

 「犬のみ腰をおとし」の反対の姿勢である「犬が吠えてゐる」に変えてみたのである。どうであろう。戦争を賞賛している姿勢になったであろうか。犬が人間のように万歳万歳と叫んでいる姿勢に映るであろうか。違うであろう。吠えている姿は、逆に戦争批判しているように見えないであろうか。犬が座って見ているのは、ただ見ていたに過ぎないのである。何か物珍しいことが眼の前で行われているという風に犬は見ているだけのことである。これが事実である。あえて批判させたいというなら、吠える姿にあるのである。
 また、思考をもたぬ犬に戦争批判させる姿勢が、私は嫌である。基本的に思想の句は俳句では無理だと思っているので、なおさら軽薄に感じてしまうのである。これは好みの問題なのかもしれない。だから、決着がつかずに終わってしまった論争でもあるのだろう。

                                        2007.10.31