虚子の虚言

 高浜虚子は、句誌「玉藻」の中で、「自らいい俳句を作らないで、俳句論をするものがある。そういうのは絶対に資格がない。俳句では、作る人が論ずる人であり得ない場合は多いが、論ずる人は立派な作家であるべきである」と述べている。
これをそのまま是とすると、俳論は、虚子のようにりっぱな俳人でないと書いてはいけないということである。一般庶民は、立派な俳人の俳論を崇め奉って読むしかないということである。絶対に手を出してはいけないということである。そんなに立派な領域なのであろうか。虚子の言には、俳論とは立派なものなので、立派な人しか作れないという意味が込められている。
 私は、俳論は俳人格とは関わりがないように思うのである。立派な俳句の作れない人が凄い俳論を書くこともあり得ると思うのである。現に野球などのスポーツの監督はどうであろう。現役時代良い成績を残した選手が立派な監督であろうか。立派に部下の選手たちを導いているであろうか。必ずしもそうではないのである。
 俳論と俳句とは相関はあろうが、どちらかが優れているという人は多いのである。文学に虚子のいう「絶対」はないのである。虚子は教育者としての一面が強い俳人なのであろう。

                                                2007.8.18