虚子の虚言その2
高浜虚子は、句誌「玉藻」の中で、次のようにも述べている。
「立派な俳句をつくる人はもとより成仏する。立派な俳句を作らぬ人でもとにかく俳句を作った人なら成仏する。俳句は作らないがしかし俳句を読んで楽しむ人ならこれまた成仏する。また、俳句という名前だけに接しただけの人でもなお成仏する。成仏するというのは俳句に対して有縁の衆生となるというのである」
成仏とは凄い言葉である。文学に仏教を持ち込んでいるのである。虚子は俳句を仏教の一つぐらいに考えていたのかも知れない。
さて、この文章には俳句に関わるものは皆成仏できるとしている。努力せずに成仏できるのである。実に甘い戯言である。そうやって俳句信者を増やしていったのであろうか。数は力であり、会員数でホトトギスは俳壇を圧倒したのである。
最後の文に、「成仏とは俳句の有縁の衆生となる」ことと述べているが、これはどういう意味であろう。俳句で成仏でき、安心感を得ることができる、ということであろうか。ホトトギス教の精神論における基本教義なのかも知れないのである。これは巫山戯で言っているのではない。実感としてそう感じるのである。
現在のホトトギスは結社なのであろうか。それとも俳句教団なのであろうか・・・。恐らく結社である。血筋を大切にしている結社である。虚子の言葉をそのまま教義にはしていないであろうと推測される。
それにしても虚子とはよく名付けたものである。虚言の虚子ということで、もしかしたら自分でも認識していたのではなかろうか。そう考えると偉い人だったのかも知れないのである。
大虚人否大俳人虚子忌かな 小山孝治
2007.8.18