持ち運ぶ文学

 俳句はどこにでも自由に持ち運べるのである。小説も持ち運べるのではないかという人がいるであろう。しかし小説は手に持ってである。俳句は頭の中に入れてである。名句は百句以上できるだけ覚えて旅に出よう。そして旅先で、旅の名所で、旅館で、いつでも自由に味わうことができるのである。
 また、俳句はどこでも自由に詠むとができるのである。それらをノートにしたため、携帯することができるのである。敢えて覚えなくてもよいのである。つまらない句は消去することができるのである。とても便利である。便利な文学なのである。
 それに比べ、小説は読むことはできても書くことはなかなか困難である。文学に興味はあっても、手をだすことのできない分野である。だが、俳句は比較的簡単に作れる印象を与えるので、文学好きは俳句をやるのである。文学を容易に体験することができるのである。自己を満足させることができるのである。とてもよい文学である。しかし、俳句は駄作は容易に詠めても、佳句、秀句はなかなか困難である。でも、一応俳句は作れるので、文人を少し気取ることができるのである。少し気取る。これが嬉しいのである。文学に浸ること、これが文学好きにとってたまらないのである。日本人はよい文学をもっていると思う。日本人はなかなか頭のいい民族だと思う次第である。

                                               2007.10.21