無意識盗作

 俳句は短いので、そっくりな句がよく見られる。「盗作なのか」と思われがちであるが、凡句の場合は盗作しないので、ただの「偶然」ということである。しかし秀句となると話は別である。盗作かと疑われるのである。秀句は同じ発想がとても少ないので、偶然ということはほとんどないのである。しかし、多くの場合、盗作でない場合が多い。何年かあるいは何十年か前の感銘を受けた句を覚えており、それを意識水準で忘れてしまい、つまり無意識の中にしまい込まれたということであるが、それがつい出てしまったということである。その句があたかも自分が発想した句と勘違いしてしまい、自句として発表してしまうのである。元々秀句であるから、誰かが覚えており、「盗作か」と指摘されてしまうのである。これを無意識盗作というのである。年を取ったらこのようなことがよく起こるようになるので、気をつけなければいけないのである。
 私も何年か前と同じ発想をして、類似した句を詠むことがある。自句の類似句であるから盗作ではないが、年を取ったのかなと思うのである。このように老化は始まるのであろう。同じ処を回るのがマンネリ化であるが、老化するとマンネリ化するようになるということであろう。

                                          2008.2.23