結社の俳句理論

 大結社「ホトトギス」は、虚子以来、俳句理論として、花鳥諷詠・客観写生を掲げており、これに従って同人も会員も俳句を詠んでいる。基礎理論がしっかりしているので、指導法も明確であり、指導を受ける会員も分かりやすいであろう。この理論に従って俳句を詠むことにより、会員・同人の連帯も強まり、基盤のしっかりとした結社となるのである。主宰者が誰になろうとも、大きく結社が揺らぐことはないのである。
 だが問題点もある。理論がしっかりとしている分、俳句世界が狭いのである。理論に少しでも外れるとよくない句として評価されるのである。「真」の結社であり、その点において深化していくのであるが、新しさはなかなか評価されず、内向きの結社と必然的になっていくのである。
明確な俳句理論をもっていない結社は、多く存在する。そういう場合、どのような俳句を会員・同人は詠むのであろうか。恐らく、結社の主宰者の俳句が規範となり、それを真似る句を会員・同人は詠んでいくと思われる。主宰者が選を行う場合がほとんどであるので、主宰者好みの句が選ばれるのは必然である。またそれでよいのである。それが結社というものである。主宰者が好む句が増え、結社という集団の結束がさらに高まるのである。 また理論にとらわれず、自由に俳句を作らせる結社もある。そういう結社は俳句理論がほぼないので、指導法も明確ではなく、愛好会のような集団となっていくであろう。また、それはそれでよいと思うのである。そういうゆるやかな指導を好む人はたんさん存在するのである。
自分の力や好み、意欲によって結社を選択すべきである。高くを望む人は、若く将来性のある主宰者から厳しく指導を受けた方がよいであろう。俳句を楽しむだけでよいという方は、近くの結社、サークルなどを選んだ方がよいであろう。俳句の先生とよばれる人はそれなりに指導ができるものである。結社の選択は、先生の選択でもある。

                                        2007.8.15