俳句の朗読
短歌は調べが重要であり、朗詠して味わうことがあるが、俳句はどうであろう。一見朗詠には重点を置いていないように思える。俳句には短歌にはない「切れ字」があり、朗々と読むことにはあまり向いていないのかも知れない。だが声に出して読むと切れ字の響きが体感理解でき、切れ字の素晴らしさが分かるように思えるのである。
だが、このことに気が付いたのは恥ずかしながら最近である。私は切れ字の響きを直接味わっていなかったのである。響くのであるから、音である。音が響くのである。決して文字ではないのである。ここが重要である。文字だけで響きを理解しているつもりの方が多いのである。俳句を読む際に、私は黙読であった。もちろん声に出して読むことの大切さを知識としては知っていた。しかし、実際は自分の俳句ですら、声に出して読むということをほとんどしていなかったのである。声を出さないで響きを理解していたのである。
降る雪や 明治は遠くなりにけり 草田男
この句は、私の最も好きな句の一つである。この句は切れ字が二つあり、切れ字の良さを理解できる句である。句の情景を想像しながら、声に出して読んでみよう。朗読してみよう・・・・。
降る雪や(響く1) 明治は遠くなりにけり (響く2)
「響く1」の方が「響く2」よりも大きいことに気が付くのである。「降る雪や」で実景である目の前の雪の情景を響きと共に味わうのである。次に明治の頃を思い出して、遠くなったものだなあとしみじみ気持ちを響かせるのである。やはり名句である。意味と響きとが相交わって、句をさらに深いものにしているのである。
名句は朗読にも十分耐えることができるものである。朗読に耐えることのできない句は、名句ではないであろう。そんな句があるなら、お目にかかりたいものである。
自分の作品を朗読してみよう。ぎこちなく感じるなら、名句ではないのである。佳句にもなれないのである。
なお、短歌は朗詠する方が良いが、俳句は朗詠よりも朗読の方が良いであろう。俳句は詠ずるには向いていないからである。
2007.7.1