歳時記を読む
歳時記を読書するような感覚で読んでみると、実に勉強になる。落し文やさいかち虫とか、生盆(いきぼん)などという行事があることなど、なかなか面白いのである。ある種の教養書といっても差し支えないであろう。歳時記の季語を隅から隅まで覚えると俳句の力も向上するであろう。仮にしなくても確実に教養は深まるであろう。
さて、一番面白いと感じたのは「新年の部」である。新年には昔からの様々な行事があり、季語の説明文を読みながら場面を想像したりすることはとても楽しいのである。空想で俳句も作れそうな気もするが、行事は実際に見て詠むことが大切なのであろう。直接見ないと感動が伝わってこないからである。想像力のある方は空想で句を簡単に作ってしまうが、どこか「作ったな」という感じを与えるものである。私の知り合いの俳人でそんな作り方をする方がいる。恐らく自分では気づいていないのかも知れないが、空想で作ったことがバレバレなんである。空想で作る場合、ぴったりと当てはまる道具立てをしてしまうのであるが、あまりにも場にぴったり過ぎると句に嫌みが出てしまうのである。
すこし趣旨と外れてしまったが、兎に角歳時記は楽しいものである。いろいろな出版社から出ている歳時記を読み比べてみるのもさらに面白いであろう。書き手の個性が実に異なっていることに気づくあろう。またそれで良いのである。みんな同じ記載ではつまらないからである。
2007.9.30