結社と才能
新聞俳句はどんなに上手くとも素人の作品である。プロは絶対投稿したりはしない。よって新聞投稿俳人は俳壇的には低く見られている。どんなに才能があろうとも、である。才能のある人は新聞投稿を続けてはいけないという不文律みないなものがある。
有名な俳句の先生の元で、修行を積まないと俳人としてはほとんど認められないのである。また、結社に入っていることも重要な要素であり、結社の先生に認められ、そして結社の同人に認められなければ話にならないのである。コンクールで賞を獲得して有名になるという方法もあるが、結社という基盤がなければすぐに忘れられてしまうであろう。
俳句には句友が重要である。その句友が俳人を引き立ててくれるのである。これが小説などと異なる点である。小説は多数の一般大衆という読者が存在する。その読者が支えてくれれば、つまり買ってくれればそれでよいのである。友人の引き立てなどはそれほど必要としないであろう。だが俳句は才能があっても、その句集はなかなか売れないのである。買ってくれるのはまず結社の同人であり、会員である。一般大衆ではないのである。よって結社はとても重要である。結社がその才能を支えてくれるのである。
結社にも入らず、俳人としてやっていける方は本当に才能があり、歴史に残る俳人となれる可能性があるのである。そういう方は、現在ほとんど存在していないと思われる。
2005.11.30
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