俳句と川柳、その他
川柳は俳句から生まれたものであり、形式は五七五であるが、季語を必要としない。おかしさ、おもしろさを追求することが多い。俳句より深みがないとして、昔から俳句より文学としての位置づけは低く、特に俳人は文学として認めていない傾向にある。だが、サラリーマン川柳などもあり、庶民にはなかなかの人気である。
また「五七五」の一行詩として捉えようとする人々もいる。それは季語を必要とせず、とても気楽に作れる。自由律俳句のようなものであろう。これが今後発展するかも知れない。季語は季節感を出す上で大切な要素であるが、これを意識しないで作っても季節感は出せるであろう。それに人事に季節感はそれほど必要な要素ではない。
「五七五」という形式だけでも文学として成立するのではないか。これだと俳句も川柳も含み、世界詩としての広がりを持てるのではないかと思う。外国人にとって、季語はそれほど必要でない要素かもしれない。ただ「五七五」ではネーミングがよくないので、よく知れた「ハイク」という呼び方でいいのかも知れない。季語は不要としてであるが・・・。
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