小俳句の存在

 俳句の形式は五七五である。あたりまえである。しかし破調もあり、六七五や五八五なども俳句として認められている。しかし、字足らずは嫌われる傾向にあり、ほとんどみられないのである。

降る雪や明治は遠くなりにけり    草田男

この句は五七五の正調である。これを字足らずに変えてみよう。

降る雪明治遠くなりけり      四六四の句

 どうであろう。詩歌として存在できないであろうか。元句と比べれば質は落ちるが、如何であろう。他にもいくつか作ってみよう。

閑かさや岩にしみ入る蝉の声     芭蕉

静寂岩にしみる蝉音     四六四の句

荒海や佐渡に横たふ天の川     芭蕉

荒海佐渡の上に銀河     四六四の句

 やはり質はずっと落ちている。もしかしたら、名句の作り替えに問題があるのかもれしない。最初から四六四の句を作った方が良いのかも知れない。

ごきぶり闇引きずり飛び出し    四六四の句   孝治

春星天文台を包む    四七三の句   孝治
 
 固有名詞は七になっても仕方ないであろう。五七五の内、二カ所三カ所が字足らずになった句を「小俳句」と呼んでみたい。字足らず一カ所は希に見受けられるが、二カ所三カ所はまずないであろう。「小俳句」と勝手に呼んでも差し支えないであろう。なぜなら、誰も意識していないからである。小俳句は自由律俳句とも異なるのである。三つのリズムは尊重しているのである。季語も尊重しているのである。
 ただ大きな問題があるのである。文学的価値があるかどうかである。ここを絶対に無視できないのであるが、やりようによっては何かありそうに感じるのである。

                                     2007.9.29